第10章

諜報部の誇りに懸けて








「南との国境に、防衛線でも張ってしまいましょうか?」
 少し軽い口調で、男は玉座に座る青年に進言した。男の衣装は黒を基調とした服装で、玉座のある王の間に似合う衣装ではない。その男に対し玉座に座る青年は豪華絢爛な衣装に身を包みながらも、その衣服の威を借ることもなく、神妙な面持ちで男の方を見つめた。穏やかな瞳だが、意志の強さに引き込まれそうになる。だが、対する男は動じることもなく視線を受けていた。
「マグナド、君はこの戦いの目的を何と思う?」
「目的、ですか。そうですねぇ……。FTを使って混乱をもたらし、再び戦乱を生み、平和ボケで弱っている正規軍を叩き、森の支配を狙う。なぁんて大層な考えを持っていらっしゃる方が多いのだろうなと思う程度ですよ」
 マグナドと呼ばれた男は、東の諜報部団長マグナド・キンダラーのようだ。飄々とした雰囲気と見事にマッチした銀髪が目元にかかるくらいまで伸ばされている。強そう、という印象は受けなくとも、不敵な印象を受ける男だ。
「じゃあ、君の意見は?」
 質問する青年、東王ライト・クールフォルトの口調も穏やかさを失わない。
「寂しいんじゃないですかね? ザッカート孤児院の存続理由を見失って」
「寂しい、か……」
「何かしてないと、押しつぶされそうな思いになってしまうんでしょうねぇ。ねぇセホちゃん?」
「は、はい?!」
 玉座の両脇に女性騎士が立っているのだが、マグナドは玉座の左側に立つ女性、少女に突然話題を振った。近衛騎士であろうその子の声が裏返る。
「アスターくんという偉大なお兄ちゃんを失って、寂しかった。けどアスターくんの意志を継ぐために騎士になった。騎士団への志願理由はこんな感じでしょう?」
「そ、そうですけど……」
 セホの兄、アスター・リッテンブルグは大戦で戦死した。西王ゼロ・アリオーシュを相手に奮戦し、敗れたと聞いている。セホは2つ年上の兄が大好きだった。いつでも真っ直ぐで、白か黒か常にはっきりさせたがる兄を尊敬していた。その兄を失って、悲しみにくれていた中、騎士になろうとした。寂しさが動機と言われても、間違ってはいないだろう。
「寂しかろうが何だろうか、森の平和を乱すのは許せません」
 白銀の軽鎧を着たのは、東の王立騎士団長であるカナン・ローレンフォードだ。大戦中に戦死した先代王立騎士団長の後を引き継ぎ、まだ24歳ながらも騎士団を率いる、東西南北唯一の各国主力騎士団における女性騎士団長だ。
「常に一方的に善悪を断定するのは、賢いとは言えませんねぇ」
「何だと?!」
 そして、カナンはマグナドと相性が悪い。マグナドからしたらからかっているだけなのだろうが、カナンは如何せん直情型だ。彼の飄々とした発言を受け流すような器用さはない。
「かと言って、何の手だても講じないわけにはいかないでしょう」
 新しい声の参入に、マグナドの目が細まる。
「グロリアは、今何をなすべきと考える?」
 話題を振られたのはグロリア・ゼヴィアス、東の宰相だ。長身に黒の長髪、鋭い眼差しと近寄りがたい雰囲気は拭えない。
「目下はやはり国内におけるFTの完全制圧でしょう。諜報部がもっと役に立ってくれればいいのですが」
 真顔で皮肉を言ってくる彼に対し、マグナドも明らかに嫌悪感を表す。
「実際に動いてもないくせに、よくもまぁそんなことが言えたもんですねぇ……」
 最後に何か呟いたようだが、その言葉を聞き取れたものがいたかどうか。
「南王には悪いけど、やはり当面は自国の治安だね。でもザッカート孤児院の動向も無視するわけにはいかない。常に情報を把握しておくように」
「はっ!」
 家臣たちの間柄は少し気になる問題だが、今はそれ以上に問題が山積みなのだ。穏やかな表情の裏にため息をつきながら、ライトはそう考えた。
?



「シレン様、大丈夫でしょうか?」
 彼一人おいて先行したのは命令通りだが、気にならないわけはない。南の王城の中を進むマチュアがナナキに投げかけた。
 城の中は不思議なことにかなりの静かさだった。ほとんど人の気配を感じない。城の中は勝手知ったるナナキに任せておけば問題ないのだろうが、ここまで何もなく進めることに違和感が溢れる。
「私たちレベルで彼の心配をするのは失礼」
貴族学校時代の同窓生であることもあるのだろうが、ナナキはシレンを信頼しきっているようだった。マチュア自身は彼の実力をその目で見たことはないため何とも言えないが、自分よりも経験豊富な彼女がそう言うのだから間違いないだろう。
「それよりも、自分の心配ね」
 ナナキの呟きと、マチュアの右手が剣の柄にかかるのはほぼ同時だった。
 気配を探れば数は一人分なのだが、プレッシャーが半端ではない。
――まるで、本気の陛下を相手にするような……!
 マチュアの頬を、冷や汗が伝う。
「……最悪」
 ふらっと現れた男を見て、ナナキが吐き捨てるようにそう呟いた。マチュアは見たことがある気はする相手だが、どこで見たのか思いだせない。
「貴女は先に行きなさい」
「え?」
「いいから。この人は、私が止めて見せる」
「は、はい!」
 マチュアが進んでいた方向へ走り出す。何故か、男の攻撃はなかった。道は知らないが、王の間まで何とか手探りで進むしかない。ナナキのことが心配で一度振り返ろうかと思ったが、やめた。行けと言われた以上、彼女は進むだけだ。自分が作戦について考えるなんておこがましい。自分はシレンやナナキと違い、経験も少ないし、貴族でもないのだから。

 マチュアを見送ったナナキは、改めて眼前の男と向き合った。実力も血統も、比較にならないほど相手が優位だ。それでも戦いは避けられない、女の勘に過ぎないが、確信している自分がいた。
 彼の奮戦は、目を閉じれば簡単に思いだすことが出来る。それほどまでに圧巻だった。あれが彼の真の実力だとすれば、自分は数秒保つかどうかだろう。剣術も、魔法も、彼が上だ。かろうじてスピードだけは上回っているかもしれないが、この狭い通路という場所では完全には活かせないだろう。
 それでも、覚悟は決めなければならない。愛する祖国を取り戻すため、先代諜報部団長、ジン・レベッフェイルの思いを引き継ぎ、諜報部の務めを果たすため、自分は立ち止っているわけにはいかない。
 短剣を抜き、切っ先を男に向けて、彼女はゆっくりと口を開いた。
「さて、貴方は敵ですか? ナターシャ卿」



 ついに一人になってしまったマチュアは、しばらく進んだ後、いったん足を止めた。
 自分のすぐ横の、いたって普通な扉の中から人の気配がする。数は2人程度だろうか。だが、計り知れないプレッシャーも感じてしまい、どうすればいいか困惑する自分がいた。
――この扉が王の間の入り口、なわけないよね……。どうする、調べるか、先行するか……。
 彼女にとっては長い黙考だったが、実際は2秒あったかどうかの迷いのあと、彼女は扉を無視して進むこととした。まずは王の間を目指す、シレンがそう言っていた。あわよくば、敵の親玉を討つのだ。そうすれば、マリメルは褒めてくれるだろうか。
 この判断が彼女の命を永らえさせたことに彼女が気付くことはないだろうが、彼女の判断は正しかった。





 シレンによって攻撃を防がれた、ザッカート孤児院側の2人の戦士たちは今起こっている現象が理解出来なかった。動かないのだ。押し込もうとしている自分の剣が、両手で押し込んでいるというのに、片手ずつで攻撃を防ぐシレンの力に負けているのだ。
「くっ!」
 一旦間合いを置くため、ダイガーとキュリスが後退する。戦場は障害物が散在する厨房、動きにくいが、それは相手も同じはずだ。調理台などをシレンとの直線コースにいれれば、相手の攻撃を封じることも出来る。
「波状攻撃でいくぞ」
 ダイガーの言葉に、キュリスが小さく頷く。折角数で優位なのだ。それも相手が自ら用意した場面だ。卑怯とは言わせない。
 ダイガーが先に動く。両手で振りかざした剣を、シレンの頭上から振り下ろす。その一撃は軽いバックステップのシレンに避けられるが、続けざまにキュリスの剣が繰り出される。その斬撃もまたバックステップを刻むシレンが容易く避ける。この狭い厨房だ、左右を調理台に挟まれれば、後ろしか逃げ場がないのも事実か。
 攻め込もうとしたシレンよりも先に、再びダイガーが同様の一撃を放つ。すぐに対応を切り替え、また後退する。プログラミングされているかのように、今度はキュリスの同じ攻撃だ。後退して避けようとしたシレンの背中が、硬いものとぶつかった。部屋の中で一定方向に進み続ければ、壁に当たるのは必然だ。
 一瞬意識が壁にいった所為で反応が遅れた。キュリスの攻撃を避け切れず、自分の剣を繰り出すことで防ぐ。防いだ姿勢のまま両者が固まる。全力で押し込んでくるキュリスの攻撃を、いなすことは容易だ。だがいなす際に自分が左右どちらに動くかを、ダイガーは待っているのだろう。
――右か、左か、その選択しか俺にはないと思っているようだな……。なめられたものだ。
 次の一瞬に起きた出来事を、おそらく二人は理解出来なかっただろう。ダンッ、という大きな音が聞こえた直後、キュリスを飛び越えて、ダイガーに対し剣を振りかざしたシレンが現れたのだ。驚きと速さから対応しきれず、ダイガーの左腕が胴体と切り離された。
「ぐわああぁぁぁああ!!!」
 断末魔のような叫びが上がる。その声が耳触りだと思いつつも、シレンは止めの追撃を放たなかった。今の一瞬でダイガー・スクートという男を殺すことは、容易だったはずだ。
 しかし一体誰が今の攻防の全容を理解することが出来ただろうか。まずシレンがキュリスと対峙する剣を、一瞬にして切り返し、彼女の剣を床に叩きつけたのだ。そして前方に体勢が崩れ、前のめりになってくる彼女の肩を足台とし跳躍、ダイガーに迫ったのだ。右か左かにしか動けないと思っていた彼らが、反応できないのも仕方がないことか。
 シレンが間合いを取っている状況を生かし、キュリスがダイガーに回復魔法を唱える。効果は精々止血と痛み止めだろう。失った腕を再生することはできない。縫合状態からの治癒の促進することは出来るだろうが、誰が今この状況で縫合する猶予をくれようか。
 ダイガーの表情から、苦悶の色が和らいでいく。それでも急に片腕を失った状況にはすぐには慣れられまい。
「流石南の貴族殿。魔法はお手の物か」
 この状況でもシレンの表情に、優位に立つ者が浮かべる不敵な微笑などもない。怖いくらい、淡々としたものだ。
「何故殺さなかった?」
 床に片膝をついたまま、ダイガーが問いかける。今の瞬間で彼を殺すことは容易かったはず。騎士の情けだとしたら、スクート家の名折れだ。
「殺せる時に殺す、打ち取って首を上げる。それは騎士が名を上げるための方法だろう? 貴様も諜報部なら、殺せる時に殺すのが常に最善ではないこと、分かるはずだ」
 ダイガーには彼の言い分が、分かってしまった。
「とすれば俺の次の手も分かるかな」
 シレンがゆっくりと左手を伸ばす。
「っ!!」
パシュッ、と小さく音がするのと、キュリスの表情に苦悶の色が浮かぶのは同時だった。左の太ももに細い矢が、深々と刺さっていた。迂闊に抜けば、矢の返し部分により肉が抉られ、動きはだいぶ制限されてしまうだろう。戦いが終わるまではこのままにしておくべきなのだろうが、それでも痛みから意識を遠ざけることは容易ではない。
「暗器とは、卑怯な……!」
 左手に付けられた手甲を改良しているのだろう、威力も速さも市場を出回っている既製品の比ではなかったが、今シレンが使ったであろう武器は暗器と言われる武器の仲間に違いない。
「卑怯? さては貴様、拷問の一つもやったことのない、汚れ知らずの諜報部だな?」
 ダイガーの先刻からの発言から、シレンにははっきりと分かった。彼は諜報部には向いていない。おそらく、拷問による情報収集などしたことはないだろう。
 視線はダイガーに向きつつも、再びシレンの左手がキュリスへ向いた。今度は先ほどのようにゆっくりと動きではなく、瞬時のことで、分かっていても対応できなかった。
「くあっ……!!」
 右の太ももに刺さった矢が、自分の機動力を奪ったことを知らしめる。回復魔法を使おうとした矢先だった。まるで魔力の動きに反応するかのような速さだ。あれほどの魔力への敏感さは、ナターシャ、モックルベラ、今は亡きフィートフォトの南の魔法三家以外ではなかなか見られないレベルだろう。
「貴様らの目的は何だ?」
 彼の目に、感情はなかった。彼の存在全てが任務のために存在しているのではと錯覚しそうになるほどの、無を感じさせる瞳。
――これが北の諜報部を代々統べる、フーラー家の力か……!
 左腕を無くした自分と、機動力を奪われたキュリス、どう足掻いても最早自分たちに勝ちはないことが分かってしまった。
「喋ると思ってるのかよ」
 苦々しく睨みつけるダイガーに対しても、シレンの表情は変わらなかった。厨房という人間味溢れる場所のはずなのに、まるで拷問部屋にいるように背筋に寒さが走る。
「では質問を変えよう。何故エンペロジア家が貴様らに協力している?」
「言えません……」
「俺が本当に何も分かっていないと思っているのか?」
 そこで初めてシレンの表情に変化があった。苦笑するような、微々たる変化だったが。
「残党たちが集まる理由は分かる。だが残党が集まるべき御旗がいるように思えない」
 シレンの“残党”という言葉に、二人の目が一度大きく見開いた。その変化から図星だということを確信する。
 しばしの沈黙の後、ダイガーが不敵に笑いながら小さく口を動かした。聞き取れる声ではなかったが、口の動きで、シレンは分かってしまった。
「血筋は絶やされたと聞いていたが、まさかト――」
 シレンの発言を遮るように、ナナキたちが出て行った扉の方から爆発音が響いた。シレンを含めた3人がそちらに視線を奪われる。
 シレンの判断は早かった。
「その情報に免じ、命は助けてやろう。その腕、急いで縫合すればまだ間に合うかもな」
 変わった男だ、ダイガーもキュリスは去りゆく男を見ながら、そう思っていた。



 ナナキの言葉に、反応はなかった。答え代わりか、突然の突風に彼女の身体が壁に叩きつけられる。
 事前に強化魔法を唱えていなければ即死だったかもしれない。改めてナターシャの血の恐ろしさを感じる。サイレントファストキャストと呼ばれる無音声高速詠唱は、それだけでも困難な詠唱だというのに、複雑な魔方式にあれだけの威力を込められるとは、全く持って信じがたいことだった。本来奇襲用の詠唱であり威力は二の次の技なのだが、今の魔法は明らかに人を正面から堂々と殺すだけの威力を秘めた魔法だった。ミュラー家も魔力が低いとは決して言わせない血筋だが、やはり魔法三家の頂点に君臨するナターシャ家は別格のようだった。
 彼の技に感動している暇はなかった。一気に間合いを詰めるように、シックスの剣が迫っていた。背後は壁だったため逃げ場は左右しかない。シックスが反転しなければ次撃が繰り出せないであろう、自分の左側へ何とか飛び退く。そして彼の反転に費やす一瞬を狙い、右手を突きだす。
「貫け!」
 予め魔方式を用意していたため、ナナキの魔法は発声というスイッチ一つで簡単に発動した。彼女の右手から真っ直ぐにシックスへと向かった光の矢は、ただかざしただけのシックスの左手によって消え去った。
――何て魔力なの……。
 魔力の強弱は絶対の理だ。弱い魔力は、強い魔力が生じさせる自然魔法壁によって消滅させられる。つまり自分の魔力は彼の前ではその程度ということだ。
 生まれて初めて自分の魔法が魔法壁に消されるというのを味わったが、確かに噂以上に屈辱だった。だが今は悔んでいる場合ではない。魔法が通じない以上、剣撃を当てなければ自分を待っているのは死だ。策を巡らすため、シックスに対しかなりの距離を置く。
 必死に頭を回転させるナナキに対し、シックスはゆっくりと左手を彼女に向けた。
「爆ぜろ」
「壁よ!!」
 彼の声が聞こえたのとほぼ同時に彼女も叫ぶ。だがその威力は彼女の予想をはるかに超えていた。目の前で生じた突然の爆発により、ナナキの身体は大きく吹き飛ばされた。



 突然の爆音にマチュアは後ろを振り返った。音との距離感から察するに、ナナキがいる辺りだ。不安に駆られ、戻りたくなる。だが、行きなさいと言われた以上、戻るのは彼女の名誉を傷つけてしまうだろう。
――魔法、なのかな……。
 平民出のマチュアには、魔力は欠片もない。これは生まれつきだからどうしようもない問題だ。だからこそ、魔法を使える貴族が羨ましくもあり、恐ろしくもあった。マリメルの指導により魔法に対する対策はある程度教わった。詠唱中が魔法使いにとって最大の隙であることも知っている。だが、奇襲されたらひとたまりもないのは変わらない。
 不安に駆られながらも足を進めるマチュアは、気づくと一際大きな扉の前にたどり着いた。
――これ、王の間かな……?
 気配を探れば2人の気配は感じられる。だがもう一つ、掴みきれない気配があった。
――3対1だとすれば、危険。でも逃げ切れない可能性は0じゃない……。
 一人きりの任務は初めてではないが、先日のシスカの話を思い出すと手が震える。南の騎士団を壊滅に追い込んだ敵たちなのだ。自分の実力で、どこまでいけるだろうか。
 だがゼロやマリメルの期待に応えたい思いも強い。
 意を決し、扉を開ける。
 玉座と、その脇に誰かいた気がした。だが、注視するよりも早く、強烈な殺気が彼女を襲った。どうやら掴みきれなかった気配はこの殺気の持ち主だったようだ。バックステップで殺気から逃げる。後退したマチュアの目の前に現れたのは、紫色の髪をした、冷たい眼差しの美女だった。開けた扉が、ゆっくりと閉められていく。
「この扉の先へは行かせないわ」
「貴女は?」
 手に入らない情報はすぐに割り切る。そして目の前の女性に尋ねる。答えが得られようが得られまいが、質問を投げかけ続ける。これがマチュア流の技だった。
「私はラッテ、ラッテ・シェージェ。西王を殺す者、と言ったら怒るかしら?」
「陛下に仇なす方を、捨ておけはしません」
「じゃあ、実力で示してみなさい」
――勝てる、かな……。
 彼女の言葉に反射的に啖呵を切ってしまったが、実力は計り知れない相手だ。ナナキかシレンがいたならば勝ち目もあったのかもしれないが、今は一人だ。逃げることも考慮にいれておかねばなるまい。



 意識の繋がりがおかしい、どうやらあの爆風で吹き飛ばされ、自分は気を失っていたようだ。だがそんな隙を見せたというのに、生きているというのはどういうことだろうか。
 定まらない目を凝らして正面を見ると、二人の男が剣と剣をぶつけ合っている光景が目に入った。
「動けるか?」
 その声は、少しだけ苦しそうだった。よく見れば衣服のあちこちが破け、左腕の上腕からの流血も見えた。
「私は、どれくらい倒れていた?」
「5分も経っていない」
 その言葉が示すのは、その約5分の間に、彼が自分を守りながらあの強敵と戦っていたということだ。自分があっという間にやられてしまった、南の騎士団最強の男を相手に。北の諜報部を背負って立つ男のプライドだったのだろうか。
「この男が洗脳されているとは予想外だった。無念だが生きて帰らねばならない。逃げるぞ」
「あの子は?」
「可哀想だが、気にしている余裕はない」
「……了解した」
 シレンの冷酷とも取れる決断だが、情報を持ちかえらずに戦死するのは諜報部としては何一つ名誉ではないのだ。情報というかけがえのない戦果を持ちかえるのが最上の使命だ。
「一瞬でいい、この男の動きを止めれるか?」
 シレンの言葉が来るよりも早く、ナナキは空間系の魔法式を組み立てていた。シックス・ナターシャを中心、時を止める魔法を放つ。
 その魔法の効果があったのは一瞬だった。ナターシャの血という膨大な魔力の前に、ミュラー家の魔力は簡単に消し去られた。だが、数秒あれば二人が逃げるには十分だった。
 シックスが再び動けるようになった時、ナナキとシレンは既に彼の前から消えていた。



――この人、強い!!
 なんとかラッテと名乗った女の攻撃を捌き続けるマチュアだったが、全くと言っていいほど攻撃に転ずる隙を見いだせなかった。攻撃の繋ぎが巧いのだ。全て次の動きを計算しながら攻撃しているのだろうか。だとすれば、自分には勝ち目はないのではないだろうか、そう思えてくる。
「平民出の割になかなかの腕前なのね」
 敵に知られているとは、自分もそこそこ有名になったということだろうか。だが明らかに今の言葉は上からの発言だ。悔しくないと言えば、嘘になる。
「お生憎様、仮にも諜報部を任される身ですので」
 数メートルの距離を置いてマチュアが答える。常に隙を窺うが、こうして話している時ですら隙がない。驚異的な女だった。
「仮にも、ね。自信のなさは実力の不発揮に繋がるものよ」
 痛いところを突かれた。無意識にもやはり先代のマリメルと自分を比べる癖が出来てしまっているようだ。直さねばなるまい。この戦いが終わったら。
「うるさい!!」
 思わず、感情を上手く言葉に表せず叫んでしまった。言ってから思う。訓練をあれほど受けたというのに、冷静さを失うとは自分もまだまだ未熟だ。そして今のままの自分ではこの相手には勝てないことを悟る。
――私はまだまだ未熟……今は、この女の名前を陛下に報告するのが任務……!
 腰に備えた発煙剤をばらまき、来た道を引き返すように撤退する。
 追撃はなかった。逃がしてくれたのかもしれない。そう思うとは歯がゆかった。



 こうして、史上初となる西南北の諜報部団長3人による合同任務は終了した。






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